菅原道真を御祭神にする菅原神社(すがわらじんじゃ)。

東京都指定の旧跡「井出の沢古戦場」に鎮座しており
井出沢城の跡の小高い丘へは、真っ赤な鳥居をくぐり、参道から石段を登って行く風情のある神社です。

古くより原町田の町田天満宮、南大谷の天神社とともに町田三天神の一社として
また、付近には薬師池公園、町田ぼたん園があり、参拝者が多い神社です。


菅原神社

  • 由緒
室町期の永享年間、近在の大沢左近正次は、先祖の大沢七郎正純が鎌倉期元応年間に京都北野天神へ詣でた折に得た天神像(大沢家の守り本尊だったと言われます。)を、当地井手の沢の山上に奉安いたしました。
先述の中先代の乱で戦死者累々としたであろう当地に奉安されたということは、想像の域ながら、鎮魂という動機もあったと思われます。また足利将軍家が京都北野社を信仰していたこと、室町期には天神様は冤罪を晴らす神なる御性格が広まっていたこと等も関係しているのかもしれません。
時は下ってその子孫大沢玄蕃(げんば)は、江戸期初頭の寛永7年(1630)新たに渡唐の天神像を刻ませてここに奉安いたし、この地を寄進して本町田の鎮守としたのが当社の縁起であります。 尚、昔の本町田村はとても広い地域でしたが、天正10年(1582)分村が施行されました。本町田村から原町田村、大谷村が分かれ、新たなそれぞれの村は元の本町田村と同じ菅公を鎮守として祀ったのです。村民統治の必要性からであると共に、それ以前より村全体の人々から親しまれていたことを示すものと思います。
享保7年(1722)御本殿が再建され、天明5年(1785)社殿が造られました。
明治35年(1902)国の施策により、千眼天神社、大六天社、七面社、稲荷社、白山社の五社を合祀し、その後も菅公のご神徳と氏子崇敬者の篤い信仰により発展してまいりました。

(転載:https://www.sugawarajinja.com/history.html
  • 鳥居
真っ赤な鳥居が美しいです。
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  • 弁天社・御神木
参道の左側に、弁天社、御神木があります。
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  • 手水舎
石段を登る手前に手水舎があります。
階段は、井出沢城の城壁?
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  • 社殿
平成11年には菅公御神忌千百年祭記念事業として新神楽殿が、平成24年には新拝殿御造営が竣功いたし、平成29年3月参集殿が竣功いたしました。
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  • 神楽殿
大きな絵馬があります。
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井出の沢古戦場

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十二世紀末鎌倉に幕府が設置され鎌倉街道が整備されると、当地は北関東から鎌倉へ通ずる街道の中でも重要な地点となりました。府中方面からここまでは丘陵地で起伏がありますが、ここから鎌倉までは一気に兵が押し下れるからです。
土地の形状から砦の如き城が築かれていたであろうとの研究も為されています。
建武2年(1335)足利尊氏の弟直義は、鎌倉幕府再興を図り信州から一路南下した北条時行の軍をこの地で迎撃し、激しい戦いの末敗れましたが、一時鎌倉を占拠した時行も20日にして尊氏に滅ぼされたのです(中先代の乱)。
井手の沢は鎌倉期の歌謡、宴曲抄「善光寺修行」に「かれいい食うべしいにしえも、かかりし井手の沢辺かとよ、小山田の里に来にけらし」と詠まれており、弁当の干し飯を食べるに必要なきれいな水が湧き出ていた休憩地として有名でした。今も、地下水位は少し下がりましたが、境内の下を清水の流れる音が聞こえます。

(転載:https://www.sugawarajinja.com/history.html
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  • 愛宕社
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  • 山王社
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見場所(アクセス)

町田駅から歩くと20~30分ほどの距離です。
バスの場合、小田急線町田駅より鶴川駅行、藤の台団地行、本町田団地行で「菅原神社前」下車。



まとめ

駅から離れていますが、近くには薬師池公園、町田ぼたん園がありますので
付近の観光とあわせて参拝するのは如何でしょうか。



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