都会の真ん中(東京都文京区)に鎮座している境内末社の太田神社で貧乏神を祀っている牛天神北野神社。
貧乏神?祀られているのは、黒闇天女(くろやみてんにょ)で「人に憑いている貧乏神を追い払い、福を招き入れてくれる」福の神として人々から信仰を集めています。
また、願いが叶う「撫で牛」発祥といわれ菅原道真を祀っている北野神社。
菅原道真を祀っている北野神社。


鳥居をくぐり丘を登ると第二鳥居。






狛犬でなくて、狛牛。






・地下鉄丸ノ内線・南北線 後楽園駅:徒歩10分

貧乏神を祀っているとのことで珍しく参拝してきました。
街中の緑がある小さな丘だけは、少し漂う空気が違う?
近くには後楽園があり、都内の観光や買い物の時に、参拝するのも良い場所です。
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貧乏神?祀られているのは、黒闇天女(くろやみてんにょ)で「人に憑いている貧乏神を追い払い、福を招き入れてくれる」福の神として人々から信仰を集めています。
また、願いが叶う「撫で牛」発祥といわれ菅原道真を祀っている北野神社。
北野神社
菅原道真を祀っている北野神社。鎌倉時代、源頼朝公が当地にあった岩に腰掛け休息したとき、夢に牛に乗った菅原道真公が現れ「二つの喜びがある」と告げられた。翌年その喜びがあり、頼朝公がこの岩を祀り牛天神を創立。
- 由緒
当社は寿永三年の昔、右大将・源頼朝御東国追討の時、此処の入江の松に船を繋ぎ和波を待つ。その間夢に菅神牛に乗りて現はれ、頼朝卿に二つの幸のあらんことを告げ、武運満足の後は、必らずや社を営み報ゆべしと託し給ふ。頼朝卿夢覚めて傍を見れば、一つの岩石ありて夢の中に菅神の乗り給ひし牛に似たり。依りて是を奇異とせしが、果して同年の秋頼家卿誕生あり。更に翌年には動かずして、平家を悉く退け国を鎮定せり。その報寶として此処に、御神を勧請ありて御神領等を寄進す。因て御創立はこの年元暦元年なりと云ふ。

- 鳥居・参道

鳥居をくぐり丘を登ると第二鳥居。

- 手水舎

- 北野神社



- 撫で牛
道真公は、御生前大変牛を可愛がられた事でも知られております。牛天神境内にある、なで石(自然石)は、源頼朝公が奥州へ東征の途中、此の地に休まれたとき、夢の中に牛に乗られた菅原道真公が現れ、願いが叶うことを告げられました。その後、ここにあった牛に似た石を御神体とされ、大宰府天満宮より御魂を勧請されたと伝えられており、これが撫で岩の発祥で牛天神の始まりです。(牛天神社と呼ばれていました。)撫でるとねがいが叶うと言われており、今日まで多くの人々に信仰されております。

狛犬でなくて、狛牛。

- 御神木

- その他

太田神社・高木神社
太田神社・高木神社は牛天神の境内にあり、芸能の神・天鈿女命(あめのうずめのみこと)と道の神・猿田彦命(さるたひこのみこと)の御夫婦と宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)をお祀りしています。芸能上達、開運招福のご利益があるとされ、関東では牛天神の御末社、関西では京都と、全国でも二社でのみ祀られています。もとは、貧乏神と言われた黒闇天女(くろやみてんにょ)(弁財天の姉)をお祀りしていましたが、江戸時代にあったとされる出来事から、人についている貧乏神を追い払い、福の神を招き入れることができると庶民の信仰を集めるようになったそうです。



- 太田神社の由緒
昔々、小石川の三百坂の処に住んでいた清貧旗本の夢枕に一人の老婆が立ち、「わしはこの家に住みついている貧乏神じゃが、居心地が良く長い間世話になっておる。そこで、お礼をしたいのでわしの言うことを忘れずに行うのじゃ…」と告げた。正直者の旗本はそのお告げを忘れず、実行した。すると、たちまち運が向き、清貧旗本はお金持ちになる。そのお告げとは─「毎月、1日と15日と25日に赤飯と油揚げを供え、わしを祭れば福を授けよう…」以来、この「福の神になった貧乏神」の話は江戸中に広まり、今なお、お告げは守られ、多くの人々が参拝に訪れている。
行き方(アクセス)
・地下鉄丸ノ内線・南北線 後楽園駅:徒歩10分・地下鉄三田線・大江戸線 春日駅:徒歩10分
・JR中央線・地下鉄東西線・南北線・大江戸線・有楽町線 飯田橋駅:徒歩10分

まとめ

貧乏神を祀っているとのことで珍しく参拝してきました。
街中の緑がある小さな丘だけは、少し漂う空気が違う?
近くには後楽園があり、都内の観光や買い物の時に、参拝するのも良い場所です。
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