安里八幡宮(あさとはちまんぐう)は、1466年(明成化2年)に第一尚氏第七代尚徳王によって創建されたと言われ、琉球八社の中でも最も古い神社。

1944年(昭和19年)沖縄戦で社殿は焼失。
戦後27年間は米軍統治下においては教会敷地で1963年(昭和38年)に仮殿が復興。

この歴史に魅かれて、安里八幡宮に訪れる人も多いのでは。

訪れると想像とかけ離れた小さく誰も居ない神社。

また琉球八社の神社が熊野権現を祭神の中
安里八幡宮は唯一八幡神((神功皇后、應神天皇、玉依姫))を祀っている神社でもありますが
観光客の少ない静かな参拝ができました。


安里八幡宮

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  • 由緒
八幡宮(安里八幡宮)は、琉球国の官社、琉球八社の一つであり、由緒ある神社であります。
安里八幡宮は、第一尚氏第七代尚徳王により、1466年(明成化2年、文正元年)に創建されました。その由来は、琉球の歴史書『球陽』や『琉球神道記』をはじめ各種の史料に記録されています。
 尚徳王は、武勇に勝れた英明な王で、先王、尚泰久の遺志をついで鬼界が島遠征のため、二千余の軍勢を率いて安里を通りかかったとき、鳥が鳴き飛び立つのをみて、たちまち弓を取り、乙矢(おとや)は地に立て、甲矢(はや)を弓につがい、天を仰ぎ、「一矢で飛ぶ鳥を射落としたら鬼界が島の平定をかなえさせ給え」と祈願したところ、見事に一矢でこれを射落とすことができました。
 また、さらに進んで五十余艘の軍勢で那覇港を出港したところ、海中の波間に梵鐘が浮き沈みしながら漂い、軍船の側を離れなかったという。
尚徳王は、「これは八幡大菩薩の賜りたる霊鐘なり。これがわが手に入れば戦勝まちがいなし。帰国後は八幡宮を崇め奉る。」と誓い、船に載せ戦いに臨んだところ、果たして鬼界が島を平定し凱旋することができました。尚徳王は、この八幡大菩薩のお加護に感謝し、誓願に従い、矢を立てた地に安里八幡宮を建立し、さらに近くに高明山神徳寺を併設して梵鐘を掛けさせたのが安里八幡宮の始まりであります。
 以来、安里八幡宮は、霊験あらたかなるお宮として尊崇され、弓矢や甲冑を秘蔵し武運を祈願するお宮として、多くの人々の信仰を集め、また、琉球舞踊「上り口説」にも謡われ親しまれてきました。明治の廃藩置県後も地域の人々に敬われてきましたが、先の沖縄戦で社殿は悉く焼失してしまいました。
 戦後27年に及んだ米軍統治下においては、教会敷地となっておりましたが、1963年(昭和38年)に仮殿が復興されました。その後、1972年(昭和47年)の沖縄施政権返還に伴い敷地を回復して、1993年(平成5年)、安里八幡宮復興期成会により、多年の念願であった八幡宮神殿の復元が実現いたしました。
  • 境内
沖縄独特の赤い瓦をのせた社殿は、小さくても沖縄の神社。
両端に幼稚園と公民館になっており、幼稚園の遊具がある広場のような境内。
もと教会敷地と言われても不思議ではない感じです。
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ANAの旅行サイト【ANA SKY WEB TOUR】ANAで行く!沖縄旅行

場所(アクセス)

ゆいレールの安里駅から徒歩10分ほどの住宅街の中に鎮座。
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駅との間に、はちまんむい公園があります。
天気が良ければ心地よい風がとおる小高い丘の公園。
公園を通るのも良いですね。
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まとめ

安里八幡宮は、調べれば調べるほど
・500年以上の歴史がある琉球八社の中でも最も古い神社
・唯一八幡神を祀っている神社
・米軍統治下では教会
などと魅力があります。

魅力ある神社ですが、5分もあれば十分に参拝できる小さな境内。
わざわざと観光の目的地と向かうべきか?悩みますよね。

琉球国の平穏や人民の安寧と幸せを守る神様として鎮座しており
無病息災、家内安全、縁結びと夫婦円満に
身体強健や大願成就、スポーツの上達祈願、学力向上、合格祈願、火災予防などと
ご利益があると地元の人には親しまれている神社。

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また、琉球八社巡りや観光の穴場好きなら、訪れてみては如何でしょうか。

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