オランダ人によって設計された木骨煉瓦造石貼付の3連アーチ、2層・3層を木造漆喰塗りで、3層にはステンドグラス(ギヤマン)がはめ込められ、屋根には日本最古の避雷針があるモダンな神門が特徴の尾上神社(おやまじんじゃ)。
加賀藩祖前田利家を祀る神社として明治6年(1873)に創建され
明治8年(1875)の建築で和漢洋の三様式を混用した異色の門が建設されました。
境内には小さいですが庭園もあり、美しい神社。
兼六園や金沢城へ観光の時、寄ってみる価値はあります。
御神灯が点灯されると、ステンドグラスが映えて美しいです。
兼六園、金沢城公園からは鼠多門の隣に位置します。
御神灯が点灯される時間帯の参拝が良いですが
何時でも、煉瓦の神門は珍しく異国情緒も味わえるので
兼六園や金沢城公園観光時は、寄ってみてください。
加賀藩祖前田利家を祀る神社として明治6年(1873)に創建され
明治8年(1875)の建築で和漢洋の三様式を混用した異色の門が建設されました。
境内には小さいですが庭園もあり、美しい神社。
兼六園や金沢城へ観光の時、寄ってみる価値はあります。
尾山神社
神門が特徴の尾山神社ですが、他にも見所があります。慶長4年(1599)閏3月3日、利家公が薨去します。その後、二代利長公は、利家公を仰ぎ神として祀ろうとしました。しかし、当時、前田家は、なんといっても外様大名の立場です。徳川幕府の許可なくして、勝手なことはできません。利長公とて、徳川幕府をはばかり、公然と神社創建に踏み切ることができませんでした。そこで利長公は、守護神としていた物部八幡宮ならびに榊葉神明宮を遷座する名目で、卯辰山麓に社殿を建立し、利家公の神霊を合祀しました。これが、卯辰八幡宮です。むろん藩あげて、厚く祭儀を執り行い、尊崇しました。ちなみに、物部八幡宮は、もと東海老坂村の鎮座です。利長公が、越中国の守山城におられたとき、守護神としていました。榊葉神明宮は、もと越中国阿尾の鎮座です。
- 拝殿
- 神門
御神灯が点灯されると、ステンドグラスが映えて美しいです。
- 利家公金鯰尾兜
- 利家公像
- お松の方像
- 神苑
旧金谷御殿の庭園であって、古代舞楽の楽器を模した地泉廻遊式の名園です。
- 金谷神社
二代藩主前田利長公をはじめ三代から十七代までの藩主、当主と正室(夫人)をお祀りしています。
場所(アクセス)
兼六園、金沢城公園からは鼠多門の隣に位置します。まとめ
御神灯が点灯される時間帯の参拝が良いですが何時でも、煉瓦の神門は珍しく異国情緒も味わえるので
兼六園や金沢城公園観光時は、寄ってみてください。
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