琉球八社のひとつで、
尚元王の長子尚康伯の病気回復に霊験を得て創建されたことより
病気平癒のご利益があると言われている識名宮(しきなぐう)。
琉球八社・波上宮のようにガイドブックなどで紹介されることは少なく
観光客が多くない分、ゆっくりと心静かにお参りができました。
石垣に囲まれた中、石畳の上に赤い屋根の拝殿があり
沖縄独特の雰囲気を持った神社。
沖縄独特の雰囲気を持った神社。
世界遺産の首里城や識名園から徒歩20分程のところにあり
天気の良い時など世界遺産巡りのコースとして
那覇市繁多川地域の散策してみてはいかがでしょうか。
当宮は琉球八社と呼ばれた由緒ある社の一つです。社号は琉球神道記(一六〇八年)には「尸棄那権現」、琉球国由来記(一七一三年)には「姑射山権現」と記されています。尚、前者には「縁起亦明ナラズ。熊野神ト見ヘタリ。石窟惟霊地也」と祭神のことが記されています。さらに近世沖縄における熊野三山、いわゆる権現信仰としては末吉宮は熊野新宮に、普天満宮は熊野那智(飛龍)に、識名宮は熊野本宮に見立てて信仰されていました。当宮は特に琉球王の篤い信仰を承け、尚元王(一五五六~七二年)の長子尚康伯の病気回復に霊験を得て、識名宮と神応寺を建て、大あむしられに看守させたといわれています。尚賢王(一六四四年)から毎年一・五・九月の吉日に国王の行幸が始まりました。一六七一年隣接の神応寺は臨済宗より真言宗に改宗(住持覚遍和尚)。戦前の識名宮神社の社殿はもと洞内にありましたが湿気がひどく腐朽し、康煕十九年(一六八0年)に洞外に移築して、瓦葺としました。 ときの惣奉行守浄(阿姓四世)によって、三月十一日~四月二〇日にかけて拝殿・石垣などの修補がなされ完成しました。(阿姓大宗家/那覇市史資料集1-7).王府時代は神職の役俸と営繕費は王府から支給されていました。戦前の建物は、三間社流造り、本瓦葺き、桁行三・七m、梁間二・四mの建築で、沖宮本殿に類似していましたが、残念ながら、戦災で焼失しました。戦後、識名宮奉賛会が発足して昭和四三年十二月に社殿が復興し、昭和四十七年五月十五日神社本庁包括、宗教法人識名宮となりました。
(*識名宮HPより転載)
- 一の鳥居

- 手水舎

- 二の鳥居

- 拝殿

- 狛犬

アクセス
世界遺産の首里城や識名園から徒歩20分程のところに鎮座。- バスでの行き方
バス停「パレットくもじ前」、もしくは「沖銀本店前」から
「5番識名牧志線」か「14番牧志開南循環線」に乗車。


②識名宮、最寄りのバス停は「繁多川(はんたがわ)」下車。

- 車
※識名園観光時、歩く事になりますが識名園に停めるのが良いです。
- タクシー
・首里駅(1467.9m)
・儀保駅(1666.1m)
になります。
になります。
- 真珠道
>首里城から神秘的な雰囲気の内金城嶽(大アカギ)へ
首里城からも、識名宮からどちらからも谷を越えるため高低差は同じです。
・識名坂から首里城方面への眺め

- 繁多川地域


- お勧めコース
・首里城-(真珠道)-識名宮
・識名園-識名宮
また、一気に
・首里城-(真珠道)-識名宮-識名園
と歩くことも可能ですが、1~2時間コースになるので
体調面など、気を付けて楽しんでください。
>再建中でも楽しめる!首里城の魅力と再建の模様
まとめ
本殿の横には識名宮洞窟(シキナグゥヌガマ)があり毎月1日と15日に洞窟の扉を開門されますので、日程を合わせての参拝も良いです。
南国の雰囲気を感じられる小さな神社ですが
魅力はあり、世界遺産の首里城や識名園観光時に
足を運んでみてはいかがでしょうか。
琉球八社
琉球八社とは、琉球王国(琉球國)において
「琉球八社(官社)の制」により王府から特別の扱いを
受けた8つの神社である。
「琉球八社(官社)の制」により王府から特別の扱いを
受けた8つの神社である。
8つの神社は
波上宮、天久宮、沖宮、安里八幡宮、末吉宮、識名宮、普天間宮、金武宮になります。
>#琉球八社TOP
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